毎日のように両親の機嫌が悪くなり、そして私は「捨てるからね」と言われ、ビンタを繰り返される。
そんな生活は相変わらず続いたが、私が2歳になる頃私たち親子は父方の実家から、父の社宅へと引っ越すことになった。
社宅は山の上にあり、車がないと不便な場所であったが、6畳1部屋そして肩身の狭い生活からは解放された。
社宅には会社の取締役会長や部長などの家族が住んでいたが、どの家族も温かく私たち親子を受け入れてくれた。
今までの実家では孤立状態のような生活をしていたので、母にとってこの引越しは救いとなり「社宅は本当に楽しかった」とのちとなって話していた。
私自身もこの社宅生活ではじめての友達が出来た。ロングヘアの小学生の姉妹がはじめての友達だ。私はいつも「髪の長いお姉ちゃん」と2人のことを呼んでいた。今思うと理由は分からないのだが、当時の私は姉妹の名前を覚えることが出来なかったのだ。
社宅では夜にみんなでバーベキューをしたり、花火大会をしたりと、今までの生活とは比べものにならないほど交流関係が増えた。
まだ幼かった私は多くの家族から話しかけられ、そしてそれが嬉しかった。
しかし、家庭環境は常にピリピリしていて変わることはなかった。
母は機嫌が悪くなるとすぐに私のおもちゃを壊し、本はビリビリに破られ、ぬいぐるみの首は取られた。
そしてまだ2歳だった私は「土下座」というものを教えられた。
まだ土下座の意味も知らなかった私だったが、「母の機嫌が悪い→怒られる→叩かれる→土下座」この流れはルーティンのようになった。
その頃の私は、泣くことがあまりなくなった。泣くとさらに叩かれ、家に入れてもらえなくなることを2歳ながらにしてすでに理解していたからだ。
そして両親の喧嘩が始まっても、私は土下座を続けた。
この頃から私はいつも笑顔で過ごし、そして「泣く」という感情を失い始めた。