私は粉ミルクを受け付けず、母乳しか飲まない子だった。
しかし、母は母乳があまり出ない体質だったのだ。
お腹が減り泣き続ける私と、母乳を与えようと必死の母。
部屋の室温による不快感、昼夜問わずの来客、育児に全くの無関心の夫。
母は多くのストレスを抱えていたのだと思う。
それは赤ちゃんだった私も同じだったのかもしれない。
夜、ようやく寝付きにかかろうとすると隣の部屋から聞こえてくる大声の会話と笑い声。なかなか落ち着いた夜を過ごすことが出来なかった。
粉ミルクを受け付けない私と、母乳が出ない母。
私の身長は伸びたが体重は一向に増えなかった。
出生時の体重は平均ほどあり、赤ちゃんらしいぷにぷにと肉付きのいい身体をしていた私であったが、その後の検診では毎回のように体重で指導を受けるようになった。
「ミルクをもう少し飲ませてあげて下さい。体重が軽すぎます」
母は言われ続けた。
その頃の私の身体は目に見えて痩せていた。
オムツが身体に合わず、年齢に対して小さめのオムツを付けているにも関わらず隙間が出来るほどだった。
ふっくらしたほっぺたもなくなり、ぷにぷにとしていた手もすっかり肉付きを失っていた。
父は育児に全くの興味を示さず、1度もミルクを飲ませることはなかった。もちろんオムツを交換したことさえない。
私は体重が増えないまま成長し、常にギリギリの体重を維持していた。