3歳の私は母に対し「愛されたい、好きと言ってほしい」と心の中で思っていた。
もちろん父に対しても同じように思っていた。
しかし同時に「自分はいらない子供、嫌われてる」と感じるようになった。
ここで少し父についての話をしてみようと思う。
父は身長が高かったが、体重はとても軽く子供ながらにして「抱っこしてもらっても大丈夫かな?」と思うほど痩せていた。
仕事も1日中パソコンでの業務だったので真っ白な肌をしていて、休日もほとんど家で過ごしていた。
そんな父はマイルール…というより家族に強要するルールが数え切れない程あった。
まずは食べ物。父が許可した物以外を口にしてはいけず、許可なしに口に入れると無条件で怒られた。
私はそもそも食べ物を受け付けない子供だったので、これに関してはさほど不便は感じなかったが、今思うと「食べたら怒られる」という思考が染み付いて、食べ物を受け付けない子供だったのかもしれない。
そして冷暖房。家にはもちろんエアコンが付いていたが、父の許可なしに付けてはならなかった。
どんなに真夏の猛暑日でも父の許可がなければ付けることは出来なかった。真冬の雪が降る日でさえ許可が必要。家の中では常にコート、マフラー、手袋を身に付けていた。
他にもテレビ、外出先、持ち物…全て父のルールに従わなければならなかった。
幼かった私は一切わがままを言わず全て従っていた。「自分の気持ち」などなく「考えるだけ無駄、意味がない」と思っていたからだ。
このルールは母にも強要されていて、母はこのストレスの多い環境で常にイライラとしていた。
そして暴力と暴言を吐くようになった。
「○○(私)が産まれてきたから離婚出来ない」「あんたなんかいらなかったのに」と毎日のように言われた。
そして殴る、蹴るを繰り返されたが、私は「泣くとさらに怒られる、泣くだけ無駄」と思っていたので一切泣くことはなく、その時が終わるのをひたすら待った。