乳児期

肩身が狭い家、エアコンはなく窓は開ける事さえ許されない

母と私は産婦人科を退院し、親子3人父方の実家で新しい生活を始めた。

家は立地が悪く、気軽に外出が出来るような場所ではなかった。

そして何より肩身の狭い生活を強いられた。

私たち親子3人が暮らす6畳の部屋にはエアコンが付いておらず、窓を開けることさえ許されなかったのだ。共有出来るのはお風呂、トイレ、台所だけ。

部屋は真冬は凍えるように寒く、また真夏になると部屋に熱がこもり蒸し風呂のような暑さだった。

もちろん他にも部屋はあったのだが、使うことは許されなかったのだ。

なので家具、洋服、ふとん、ありとあらゆる全ての荷物をこの6畳に詰め込んだ。

「タンスを置いて、布団を敷いたら何も出来なかった」と母は言っていた。

祖父は文学の先生をしていたので、朝早くから夜遅くまで毎日のように来客があった。

来客があるたびのお茶出しはいつも母の役割で、もちろん食事の準備も全て母だった。

エアコンもなく決して快適とは言えない部屋、そして昼夜問わず常に訪れる来客。

私はいつも泣いていた。

こんな生活にも関わらず、父は家庭や育児には全くの無関心で全てにおいて非協力的だった。

祖父もこの状況を気付かないのか?あるいは見て見ぬ振りなのか?口を挟むことはなかった。

全てを母1人で抱えなければならなかったのだ。

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